A Dose of Rock'n'Roll

いろんな国の映画について書いています。それから音楽、たまに本、それとヨーロッパのこと。

形のない骨(2018)

久しぶりに海外の劇場で観た日本映画。なんとなく、骨に関連した(おくりびとのような)心温まるお話かと思いきや、さにあらず。なかなか衝撃的な内容でしたが、個人的にはすごく好きでした。なお、上映時の英題は「Hot Ashes」。

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 形のない骨 : 作品情報 - 映画.com

  

あらすじは公式サイトを参照ください。

 

この作品をどう評していいのだろうか。この作品はなにが言いたいのだろうか。鑑賞後深い溜息とともに考えた。上映前に登壇された監督はテーマについて、「日本の社会や家族、習俗のことなど」とおっしゃっていた。では、ここに写されている「家族」とは?そんな家族が声なく横たわっている日本の「社会」とは?そしてそうした人々が織りなす「習俗」とは。

 

確かにそうだ。ここにあるのは、日本の家族の形、いびつで理想とはかけ離れ、もはや個人を守り育む場所として機能しなくなった家族=社会そのものなのだろう。家族のつながりが失われることで社会のひずみも広がる(あるいは社会も疲弊し望ましくないものへと変容していく)、といった主張はどうにも古臭く受け止められるかもしれない。率直に言って、そうした見方があながち見当違いといえないような部分も、本作にはあると思う。しかし、個人的には作品の終わり方=「形のない骨を海に散骨する」ことになんの救いも見られないところが現代的なアプローチだと感じた。つまり、あまりにも長い間社会が冷たいままであった、さらにそれにもかかわらず見せかけだけは自分たちの習俗を継続した結果、とうに骨は形のないものとなり、そこには希望も出口も見出せないということ。この感性は、現代の日本らしいものといえるのではないだろうか。

 

すでに何度も引用しているタイトルはしかし、意味深長でなかなか味わい深い。私個人は、抜けられない貧しさと悪化していく人間関係の中、諦めきれずに優しさを誰かに求め続けた良子自身の内側の「骨」がすでに形のないものになってしまっている、と解釈した。そのシーンが砕かれた骨を散骨するエンディングとして描写される。

ここに至るまでの物語を群像劇ではなくあくまで良子という女性の一人称で通したのも正解だろう。家族の、社会の、と書き連ねてきたが、実際のところ本作を観ている最中の感想は、あまりにも悲劇的な運命に翻弄される良子の心がぐしゃぐしゃに壊れていく、そうした痛々しさしかなかった。だからこそ見るべき、とは言わないが、1人の女性の悲劇として観ても十分心動かされる作品だと思う。

 

感覚的に、欧州ではこうした「なんでもない」人物の「なんでもない」物語に取材した映画は珍しくないものの、日本では(バイオレンスや極めて奇妙なハプニングが起きないという意味で)あまりなかったように思う。そこも個人的にはポイントか。

 

 

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「ネイティブの英語話者ではないのでどうぞ暖かくお迎えください」との紹介を受けて登壇された、小島淳二監督。英語のせいもあってか非常に短いスピーチだったのでぜひもっと話を聞きたかったなあ(通訳があれば……)。上映後のQ&Aもなかったので、劇場をちょっと探してみたのですがお見かけできず…。残念!

それと、先にも書いたように主人公を演じた安藤清子さんの演技は非常に印象的だったので、ぜひともまた他の作品で見たいなあと思っています。

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小島淳二初監督作品映画『形のない骨』初日舞台挨拶 | NB Press Online