A Dose of Rock'n'Roll

いろんな国の映画について書いています。それから音楽、たまに本、それとヨーロッパのこと。

ありふれた事件(1992)

なんと不快な映画なのだろう。いや、このひと言に尽きる。不快な映画は数あれど、大して有名でもないベルギー製の本作、堂々のトップ10入り有力作だ。

 

f:id:coroand501:20191007052636j:plain

ありふれた事件 : 作品情報 - 映画.com

ありふれた事件 公式サイト

 

モノクロ、フランス語の本作は”殺人に関するドキュメンタリー”の形式をとっている。いわゆる、モキュメンタリーだ。

冒頭、電車内の映像が映し出されたと思ったら何の脈絡もなく最初の「殺人」が始まる。あっけにとられて見ていると、犯人と思われる男のインタビュー映像に切り替わる。あまりに唐突な始まりだったので観客としては動機を求めるところではあるが、男が語り出すのは「隠し方」。曰く「体重に対しての重しのつけ方が難しく、換算表がいるくらいだ」。ここで観客は不穏なものを早くも感じ出すのである。というのも、あまりにも男があっけらかんとしており、どこか愉快な感じさえあるからだ。

この映画をどう見れば良いのか……?考える暇を与えずドキュメンタリーは早くも轟音とともに銃を使った犯罪を淡々と捉えていくことになる。

 

こうして次から次へと罪のない人々が殺されていく様子が90分続く映画といって良い。あまりに衝撃だった。殺人鬼についてドキュメンタリー風の演出で迫った映画は少ないわけではない。例えば、(これもカルト映画ではあるが)実在の連続殺人犯に題材を取る『ヘンリー』は本作と対比しうるものかもしれない。ただ、決定的に違うのは『ありえふれた事件』は「心の闇」に入り込んでいくものではないところだ。むしろ、詩のようなものを口にしノリで人を殺しまくるブノワの姿からは、「その奥には何もない」ことだけが強烈なメッセージとして発せられる。

悲惨な事件が起こると人々はその裏に潜むものを積極的に理解しようとする。合理的な理由を得て安心したいからだ。だから、この映画の持つメッセージは文字通り「目を背けたい」ものとなる。人を殺す側には周囲が少しでも共感したりできるようなものは、「何一つない」のだ。(そして、そのメッセージには「あなたの近くで起こっている(原題”C’est arrivé près de chez vous”)」というタイトルがつけられている)

同じくドキュメンタリータッチで殺人者を描くキェシロフスキー監督の『殺人に関する短いフィルム』も思い出した。しかし、ここでも対照的に『殺人に関する〜』にあったモラル的な問いは見られない。皆無だ。つまり、モラルに挑戦するような意図で撮られた作品でもないということ。ここでまた「合理的な説明など見つからない」空虚さに座りの悪さを感じることになる。

 

冒頭に述べたことを再度書くが、不快な映画だった。

容赦ない暴力描写も多々あるが、ホラー映画のような怖さではなく、ダイレクトな表現による嘔吐感の方が感想としては正しいだろう。そう、これほどまでに不快なのは「身近な事件」を実際に見ている感覚に陥るためで、そういう意味での演出・編集は完璧だったと言って良い。手持ちカメラの映像、トラブルがあると途切れる音声、製作者側(3人の製作チームも”出演”している)にも伝染していく狂気、そして突然の終幕に向かう意外でスリリングな展開、モキュメンタリーとして求められる要素の全てがある。ある意味では憎いほどパーフェクトな映画で、ヒットはしないとしてもこれまであまり語られてこなかったことには驚きを隠せなかった。

 

しかし、高品質がゆえ鑑賞後に頭を抱えることにもなる。一体これは何を意味しているのか。そんな折にちらと目に入る映画のタイトルには「ありふれた事件」と書かれていた。