A Dose of Rock'n'Roll

いろんな国の映画について書いています。それから音楽、たまに本、それとヨーロッパのこと。

ジョジョ・ラビットについて

2019年にいくつもの映画祭で公開されていたこの作品、鑑賞したものの言いたいことがかなりあったので記します。

 

ジョジョ・ラビット : 作品情報 - 映画.com

今回は画像なしで良いです。

 

ネタバレもちょっとありますが、めちゃくちゃ酷評しています。

 

 

こないだ『ジョジョラビット』を観たんだけど期待に反して今年初めて星1つ(5点満点の最低)をつけることに。リアリズムのかけらもない、ナチ賛美の極めて低級な映画だった。

 

この映画が世界中で分断が深まる最近の事情を憂慮しているらしいことは見たらなんとなくわかるんだけど、だったらどうしてこんなホロコーストを矮小化するような描き方しかできなかったのか。そこがとにかく嫌な気持ちになる映画だった。

 

なぜ表面的にはナチ犯罪に加担している描写がない(最後はナチスやドイツ軍関係者は全員死亡)のに、この映画を私が「ホロコーストを積極的に矮小化している」と感じるのか。

要素はたくさんあるけど挙げるとキリがないので1つに絞ると、

ナチに傾倒する馬鹿な少年に、周りの人を大勢殺されて自らも隠れ家で命の危険に怯えながら生きる少女が、果たして共感だの同情だの、できるだろうか。

何を置いてもこの点だ。
しかもこの少年*1は胸くその悪い意地悪をこの少女にたくさんしている。

これを、
「大変なこともたくさんあったけどまだ若いんだから仲良くできるでしょ」
とか
「超ムカつくけどまだ子供だから多めに見て許してやろうよ」
と言えるだろうか?

 

言えない。
なぜなら、そんな平時には通ってもよさそうなお題目が通じないのが戦争だから。

こうしたリアリズムを無視することは「まぁ戦争だったから仕方ないよね?」という問題の矮小化だし、特定の集団を体系的に「絶滅」に追いやろうとしたという人類の最大の過ちのひとつから目を背けて何も学ぼうとしていないことになる。

矮小化したつもりがない、というのならば勉強不足。現実に加害者と被害者のいる問題にそんな上っ面だけの姿勢で”良いお話”に仕立てることは許されない。

戦後の情報が揃っていない時代じゃなく、終戦から(さらに言えばフランクフルト裁判からですら)半世紀以上が経つ現代、様々な視点からホロコーストの研究資料や一般向けの書籍ははっきりいって山のようにある。


ただし、誤解なきように明らかにしておきたいのは、これは何も「史実に忠実であれ」と言っているわけではないということ。もし、この作品を戦時中を舞台にしたエンタメにするのなら、サムロックウェルあたりをぶっ飛んだロックスターみたいな演出にして大笑いさせてGo!で良かったと思う(俳優については*2*3)。

 

でも、この作品では演出のポリシーを180度変えていてもあまり良くはならなかっただろう。一番の問題は、監督のアーティストとしての本気度が決定的に足りないことだ。

個人的には、歴史を舞台にするなら最低限の取材はしようね、とは思うものの、ドキュメンタリーや再現ものでない創作劇であれば、一定のレベルさえクリアすれば許容すべきだと思う。
むしろ、そうした歴史を舞台した創作に求められるのは、作家が自らの想像力をもってどこまで事実に肉薄できるか。つまり、起こったことの本質をどのように捉えて作品としての創造物に昇華できるか、これが重要だ。

 

その結果がこのレベルの共感性の低い内容(有り体にいえば、薄っぺらい)になったというのは甚だしく残念だし、「ホロコースト」という現代史の中で最も重いテーマに対して、芸術家としての彼のステートメントがこれだというのはあまりにも嘆かわしい。

 

繰り返すが、単に「ゆるいノリのコメディはちょっとこのテーマに合わなかったね〜」という程度の話ではない。(それにしても嫌煙家として有名なヒトラーの煙草を勧めるジョークの笑えなかったこと!)

この作品が少しでも「2019年に1945年の物語を作ることで2019年の問題に訴えたい」と思っているなら、ぬるすぎるし逆効果だ。


あえて言いたいが、むしろそうしたお金持ちやインテリが居心地の良いソファでくつろぎながら現実を直視せず「乗り越えられる」とのたまう、お花畑のような説教が今この時代の分断を深めている一因なのではないだろうか?

 

鑑賞から何日も経ったが、いまだに激怒している。

 

 

 

 

 

 

*1:というか、スクリーン上では立場の違う少年少女が最後には共感し合う、という美しい話が展開されるのだが、演出としてとにかく全然共感できなかった。たとえば、主人公の怪我の見せ方。至近距離で爆弾が爆発するという事故に見舞われた主人公は以後「僕は不具だ」といじけるのだが、顔にちょっとしたあざが残るその傷で”人生の悲劇”を気取って見せるその傲慢さがこの映画の全てを表している。

傷については「まるでピカソだわ」というセリフが出てくるのだが、監督本当にピカソの作品観たことある?ついでに言うとゲルニカの前で5〜6時間戦争について考えた方が良いよ。

 

*2:英語で撮ってアメリカンなノリをそのままにしているところも座りが悪かったけど(ラストシーンのダンスとか最悪)、サム・ロックウェルももったいない使い方だった。。2001年版の『チャーリーズ・エンジェル』もっかい観ましょう。

英語なのに冒頭とラストだけドイツ語の唄を流すのも(どっちも元は英語)意地悪なのか考えてないだけなのかわからないけど心底気分が悪かった。

 

*3:スカーレット・ヨハンソンは最近駄作レスキュー隊になっているのだろうか、と思うのだが(年末に観た『マリッジ・ストーリー』もかなり酷かったが彼女が迫真の演技で救おうとやっきになっていた)、その演技力を頼みの綱にしていたのに説明なく屠ってしまうところが悲しすぎる。いいか、戦争としての無慈悲さを示すことは演出を端折ることと違うからな。