A Dose of Rock'n'Roll

いろんな国の映画について書いています。それから音楽、たまに本、それとヨーロッパのこと。

ヘレディタリー/継承(2018)

去年公開されて絶賛されていたホラー映画、ヘレディタリーを観ました。

 

f:id:coroand501:20190630195147j:plain

ヘレディタリー 継承 : 作品情報 - 映画.com

 

!!! 以下、ネタバレてます !!!

 

 

そう、とにかく「怖い」という前評判だったので、「へぇ〜どんなもんかねえ」と半信半疑で観てみたものの………。

 

 


あ、これはガチのやつだ。

となりました。まずそれが感想。

久しぶりにホラーの良作を観たな!という強い満足感と長編1作目の監督がよくここまでストイックに作り込めたな、というリスペクトが残りました。

 


最初にガチ、と書きましたが、映画が始まってからの120分、徹頭徹尾オカルトが続きます。ホラー映画って、実はエンタメの1つのベクトル、という側面もあるのですが*1、本作は本当にお笑いはなし。笑わせにも来ないし笑いどころもありません。

いや、冷静に振り返ると笑っても良いところはありました。特に後半人物が浮かんだり血が飛び散ったりするところは、並のホラーであればちょっと笑ったり「いやいやいきなり超常現象かよ、冷めてきたな」ぐらいのノリで見てしまうこともあるかもしれないんですが、とにかくこの映画では冒頭から異様に空気が張り詰めていて、笑うに笑えない。「絶叫上映会を開催したが絶叫できなかった」という記事を見ましたが、まさに本作が観客を呑んでしまうタイプのシリアスなホラーであることの証左でしょう。

 

もう少し細かく何が怖かったのか考えてみたいのですが、個人的に一番だったのが子役。登場時から明らかに異常をきたしているにおいがプンプンしており、いわくつきの祖母に懐いていたというプロフィールだわ、なんかそもそも1人だけ顔が家族と違いすぎるし挙句に鳥をハサミで切ってしまうわで、相当ヤバい。映画の最初の方はとにかくこの子の気色悪さに圧倒されます(逆になんでここまで気味わるいの……?と苦しくなってきて、(役ではなく人としての)彼女の将来がものすごく不安になりました…)

そんな気味の悪い彼女が、仕方なく連れてこられたパーティでナッツの入ったケーキを食べてアレルギーを起こしてしまう、というのはそれまでと比較すると妙に「子どもっぽい」行動で一瞬だけなぜか普通の映画のトーンに落ち着くんですが、それも束の間。急いで車で自宅に戻っている途中になんと事故で死んでしまいます。ここのグロさ、そして「それをなかったことにする」兄の異常な行動は、明らかにこの映画の最初のハイライトとなっています。

本作は「エクソシストの再来」とも言われ、オカルトものとして非常に高い評価を得ているのですが、個人的にこのあたりでのグロ描写は「雰囲気だけで見せる映画でない」ことを宣言しているようで、新鮮に感じました(チャーリーの事故現場のシーンはトラウマになる可能性大…………)。

 

さて、意外だった「何かやらかしそうな子役が早々に退場」というイベントを契機にして、物語は新たなステップに突入していきます。母=主人公のアニーの悲しみは当然なのですが、ミニチュア模型のアーティストである彼女は事故現場を詳細に再現しだしてこれも怖い。

とにかく山中にある家の隅々まで異常なモチーフが隠されてて怖いのですが、中でも一番不気味なのが彼女のつくるミニチュアです。(まさにミニチュアだけに)神は細部に宿る、というわけではありませんが、設定や演出だけでなく画面に登場させる小道具にまで細かくこだわっていることが、本作を王道のオカルトたらしめているともいえるでしょう。要するに、心霊とか悪魔崇拝みたいなものを扱うオカルトって、そこから離れた観客からしてみれば常に胡散臭く見えてしまうわけです。そうしたジャンルでも笑いやツッコミを許さないためには、先に書いたように世界観を確立させることで観客を呑み込むしかない。その意味でいえば、だんだん監督大丈夫かな?と正気を疑わせる本作は「勝ち」なのです。

 

記事が結構長くなってきたので端折りますが、子どもの死を境に作品は一気に「心霊もの」としての性格を強めていきます。最終的に(罠にはまって)交霊会を開催してしまうのですが、子役に続いて二度目のサプライズは「最後まで観客に付き合ってくれる」と思っていた主人公アニーが物語の後半で「あっち側」に行ってしまうこと。あれ?彼女が主人公だったのでは……?と不安に襲われる観客を置いて映画は一気に「すべてがピーター(お兄ちゃん)の体を利用する悪魔崇拝のためだった」というエンディングまで走っていきます。


「衝撃の結末にたどり着く」と言われているものの、エンディングはどんでん返しというわけではありません。まぁ、衝撃といえば衝撃なんですが観客をそれほど置いてきぼりにせず割と丁寧に謎を解き明かしながら核心まで迫ってきたので、むしろ「あ、チャーリー(長女)の死はこのために必要だったのか」など、答え合わせのスッキリタイムになっているといえるでしょう。

ただ、それでもこの映画が「どんでん返しもの」に感じてしまう理由はわかります。すでに見てきたように長女→母→長男とメインとなる人物にバトンを渡していく流れが非常に鮮やかで、その都度観客の期待を裏切っていく様が(それも意外と親切にガイドしてくれる語り手であるだけに)巧みだったからです。まさに「継承」というタイトルにぴったりの展開だったといえますね。

 

いやそれにしても、こんな凝った映画を作り上げた監督が本作で長編デビューというのは驚きです。心霊ものって正直古臭いし、カルト教団が出てくるのもともすれば陳腐なオチに終わってしまいそうなところ、際立ったキャラクター(特に中心となる3人は熱演と呼んで良いでしょう)と細部まで計算し尽くした演出で、見事に王道オカルト・リバイバルとして実現させました。

いろいろなところですでに書かれていることですが、こうしたあえて古典と向き合うような作品が2018年に出ていたというのは本当に驚くべきことです(やはり私も観ていて思い出したのが『エクソシスト』でした)。

もちろん、最近でも昔の作品のリメイクや続編をつくって「現代風にアップデートする」試みは盛んに行われていますが、既存のテーマを2010年代の筋書きで読み換えるのではなく、既成モデルは現在も高品質な作品を生み出す型として有効であることを示しているというのが、本作のユニークなところだといえるでしょう。

次回作はどんなのになるのか、楽しみです…!

*1:何が言いたいかというと、「倒したと思ってたのにまだ後ろに立ってる」とか「この家は何かがおかしいと思っていたら実は昔の因縁」みたいなのって、物語どうこうというよりもショウとしての側面が強いということ。つまり、びっくりさせたり裏をかいたりするというのは、「いかに楽しませるか」という命題への1つの方法論だと思うんですよ。ゾンビものとかスーパー殺人鬼ものとかがやたらとシリーズ化されるのもだからのでは…?という気もちょっとします。ちなみに、私はこの「観客にサービスしまくった結果いろいろ極端なことになった」方法論はメタルにも当てはまると思っています。ある種のメタルってシリーズのゾンビものにあるようなギャグ感があって、作中でよく使われたりする相性の良さは偶然ではないのです。